ブラジルは1500年にポルトガル人のペードロ・アルヴァレス・カブラルによって「発見」されました。
そのポルトガルによって植民地化され、その後1822年に独立を勝ち取るまで、およそ6万人のポルトガル人がブラジルに移民したと考えられています。
同時に労働力としてアフリカから奴隷貿易によって運ばれた黒人奴隷もまたブラジルの人口を構成することになりました。
奴隷貿易は1850年頃には禁止され、その後多くの国の人々がブラジルを新天地を求め、移住しました。
日本は1908年(明治41年)に移民政策を行いましたが、歴史からすると、かなり後に移ったと言えます。
移行時期 | 主な人種 | 現在の想定人数 |
---|---|---|
16世紀 | アフリカ系ブラジル人 | 不明 |
19世紀末 | アラブ系ブラジル人 | 17,000,000 |
19世紀後半 | イタリア系ブラジル人 | 31,000,000 |
レバノン系ブラジル人 | 7,000,000 | |
19世紀末 | ギリシャ系ブラジル人 | 50,000 |
20世紀初頭 | 日系ブラジル人 | 1,910,000 |
1905年(明治38年)から、サンパウロ州と契約を締結し、日本全国で移民希望者を募りました。
第1回の移民として、最終的に781人が渡航しました。
移民のほとんどは数年間契約労働者として働き、金を貯めて帰国するつもりでした。
しかし、一部の農場を除きその実情は奴隷と大差ないものでした。
結果、逃亡者が多発し、当初契約したコーヒー園に定着したのは 全渡航者の4分の1のみでした。
コーヒー農園から逃亡した多くの日本人移民は資金を出し合い共同で農地を取得し、1919年には初の日系農業組合として「日伯産業組合」を設立しました。
その後、多くの日本人移民が自作農と成ったり日本人移民向けの商店や工場、医師を開業する者も現れました。
他の農産物へ転換する者も多く、大成功を収めました。
現在ブラジルで栽培されている農産物の多くは日本人移民が持ち込み品種改良などを通じてブラジルの赤土での栽培に成功したものです。
前述のように、日本人は、だいぶ後からやってきました。
移った際に、環境の良いところから住むのは当然です。
良い場所は、先に移住した国の人々が占め、日本人は山奥に近いところに居を構えるしかなかったのです。
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